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「平成22年度学部卒業生答辞」を掲載しました。

この答辞は、平成23年3月25日の学位記授与式において読まれる予定だった原稿に加筆され、5月6日に届けられたものです。

学部卒業生代表 
教育学部 初等教育教員養成課程 教育学コース
千葉寛巳

答  辞

 震災見舞申し上げます。この未曽有の出来事が起き私達の卒業式はやむを得ず中止となりました。さびしさを感じながらも、こうした出来事があったからこそ、これからを強く生きていかなければいけないのだと思います。
実は3月11日の震災前に私はすでに答辞の原稿を書き上げていました。しかし今回その原稿をそのまま表に出すわけにはいきませんでした。なぜなら明らかに震災前の原稿は今の私の心境に合わないからです。したがってこれは書き改めた答辞になります。
  小学5年生の頃から抱き続けてきた私の夢は実現しました。私は今、宮城県の小学校の教員として働いています。私が勤務する小学校は沿岸部ではありません が、震災によって避難してきた子どもたちが転入して来ました。私のクラスには3人の新しい仲間が増えました。家族に用意してもらった大学ノート、鉛筆、消 しゴムだけをおもむろに机の上に出した子どもの姿に心打たれました。「津波で流されちゃった」とけなげに私に話した子どもの顔、「先生、赤鉛筆・・・」と さみしそうに訴えてきた子どもの目を私は忘れません。
 やがて物資の配給や父母の方々のご好意によってこの子たちの持ち物は充実し始めました。私や友だちに借りることなしに自分の物を使えることが、私にとってもありがたいです。
 支えられて生きている。震災前と後とではその思いが一層強くなりました。
 今はただ今を生きることで精一杯で、過去を振り返っている暇はないのが正直な気持ちです。しかしながら、大学4年間は多くの人と出会い支えられて過ごしたと感じることができます。
 その中でも私にとって教育実習やボランティアで出会った子どもたちとの出会いは価値あるものでした。特に3年次実習は私の4年間における「転換点」でした。
  初めての教育実習は、驚きと戸惑いの連続でした。国語の物語文の多様な解釈に悩みました。子どもたちの反応を想像しようとしても想像できない。その時私は 大学で何を勉強してきたんだと後悔しました。真理を探求することが学問であると思い大学で学んでいた私は解釈の正しさを求めるあまり最初の一歩を踏み出せ ずにいました。正しい解釈はあるのか。悩み果ててなんとか授業をしました。
 悩み苦しんだ実習の最終日、私は日誌に次のように書き綴りました。
「今日の学級による教生の先生を送る会では私たちを喜ばせようとする子どもたちの姿に心打たれた。私はこの子たちに2週間の間に何をすることができたであろうか。子どもたちからもらってばかりじゃないか。」
悔しさと感謝の思いが入り交じった感情の高まりの中で私は涙を流しました。
私はこの出会いに感謝しています。私を変えたのは確かに子どもたちでした。人との出会いがあって今の自分がいる。この思いを忘れはしません。
 卒業生は今、それぞれの道を力強く歩んでいます。今をしっかり生きること。今までの感謝の思いを忘れないこと。私たちは宮城教育大学を卒業しました。
 最後になりますが、4年間の大学生活をあらゆる面で支えてくれた家族に深く感謝致します。後輩の皆様方のご活躍と宮城教育大学の一層の発展を願い、ここに答辞とさせて頂きます。

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