令和2年度 新入生の皆様へのメッセージ

本日入学された学部の皆さん、大学院修士課程の皆さん、そして専門職学位課程の皆さん、ご入学おめでとうございます。本学は半世紀を超えて、教員養成の道を誠実に歩んでまいりました。創立間もないころ、皆さんは知らないかと思いますが、全国で学生紛争の嵐が吹き荒れました。これは大学の過度の管理に学生が反発し、東大を頂点とし燎原の火のごとく全国に広がり、大きな紛争となったもので、学生が講義棟を封鎖し、バリケードを築くなど大変な状態でした。学生は、今こそ社会を変えるのだという強い信念を持ち、大学とひいては国と闘いました。本学も例外ではありません。その鎮圧のため、各大学は警察の機動隊を導入しました。
この時の学長が林竹二先生という方で、本学史上重要な方であり、哲学者です。林学長は「機動隊をキャンパスに入れるのは教育の破壊である」と言って警察介入を断り、自らバリケードの中に入って行きました。この時のことが、本学卒業生・大泉浩一君の著書「教育の冒険」の中に、次のように書かれています。・・・建物の出入口には、机や椅子が高々と積み上げられていた。62歳の林は、その隙間を、身をかがめて通り抜けなければならなかった。薄暗い廊下に、すでにたくさんの石や角材が運び込まれているのが見えた。封鎖した学生たちは、機動隊が導入されれば逃げ出さずに徹底的に闘う覚悟でいるのだ。林は、自分が軟禁されてしまうのではないかとか、危害を加えられるのではないかということは一切考えなかった。学生たちは大学において共に学ぼうとする同志だ、という立場を、林は取り続けた。たとえバリケードの中であろうとも、学生がいればそこは大学なのであり、根気よく対話を続けていくことそのものの中に、問題の答えがあると信じていた。話し合いは延々と続いた。何らかの結論が出て封鎖が解除されるという見込みはまるでなかったが、林は、自分の方から対話を打ち切ろうとはしなかった。夜が深まると、7月とはいえ教室はすっかり冷えてきた。学生の一人が、林の後ろから毛布を掛けてくれた。林は礼を言い、「私は疲れると、人前をもはばからず、不覚にも眠ってしまう癖があるんです」と付け加えて了解を求めた。学生たちは、笑顔でそれに応じた。朝が近づき、林は本当に居眠りを始めてしまった。学長に就任してからの疲れの蓄積は厳しく、自分の今の状況を忘れさせてしまうほどだった。学生たちは、怒りだしたり林の眠りを妨げようとはしなかった。デッキチェアを勧められ、さらにもう一枚の毛布が提供された。林は2時間ほどぐっすりと眠った。林は、朝6時頃、外へ出た。林の身を案じ、一晩中寝ないで待っていた教官たちは、ほっとすると共に拍子抜けした。翌7月10日、封鎖は、学生自身の手で無条件に解除された。学生の処分は一切行われなかった。・・・
学生の自主解除は全国でも大変珍しく、林先生の姿勢には心打たれるものがあります。「誠実に向き合い、相手を尊重し真摯に議論を重ねる」、学生紛争という厳しい環境下で貫いた在り方こそが、宮城教育大学の原点であります。その精神は現在も変わりません。紛争後、林学長は、教員と学生の日常的な議論の必要性を認識し全国初の合同研究室を設置するなど多くの改革に着手し、この時期に本学独自の強固な基礎が築かれます。「学ぶとは、終わることの無い過程に一歩踏み込むこと。そしてその証しはただ一つで、『何かが変わること』である。覚える、知識をふやす、とは違う。授業とは、子どもの中に一つの事件を引き起こすこと。内側で何かが変化している」とは林先生の言葉ですが、教師の仕事は実に深く魅力的です。子どもの成長著しい大事な時期に直接に接し、教え、育てること、教師自身もまた児童・生徒の問いかけにより深化する、そのような相互関係は他の職業には無い素晴らしいものです。教師のなにげない一言が子どもの人生を大きく決定づける大切な一言にもなりうる、そのような場面は珍しいことではなく、皆さんの中にもそういう経験を持つ人がおられることと思います。
さて、優れた教師になるためには広範で深い知識のみならず、全人格的な様々な資質が要求され、そのために、事象に対し多角的な視点を持ちながら能動的、懐疑的に考えを進める必要があります。本学には多岐にわたる専門分野の教員がおり、面倒見がよく、教員と学生の距離が近いですから、時には他分野の教員と、また他専攻・コースの学生と議論することを勧めます。理科専攻の学生が日本文学のゼミに参加したり、社会専攻の学生が特別支援の教員、学生と発達障害について論じあったり、多面的なアプローチが可能です。これは本学の魅力の一つで、全人格的教育の一翼を担っています。
東日本大震災から9年が過ぎました。9年前のあの日、皆さんはどこにいて何をしていましたか。被災されましたか。周りの方はどうでしたか。そして今日までどのように過ごしてきましたか。宮城県には甚大な被害に遭った学校があります。多くの子どもたちの未来が一瞬にして奪われたことは悲しみに耐えません。教師の最も重要な使命は子どもたちの命を守ることであります。かけがえのない命を確実に守ることのできる教師にならなければなりません。このことを片時も忘れず、高い防災能力を在学中にしっかり身に着けて下さい。
みなさんのこれからの4年間、2年間は多くの可能性にあふれています。「素木(しらき)しづ」さんという、明治末期に活躍された女性作家がいます。素木さんは体が弱く、結核性関節炎にかかり、17歳で右足を切断し、「日陰者」と言われ、親からも見放されます。常に生死の狭間にありながらも「どう生きるか」と煩悶し、「真実の生を送りたい」と強く思いながら小説を書き、18歳で自身の経験を土台に、運命を直視する女性を描く作品を発表。その後、周囲の反対を押し切って結婚、出産し、貧困と結核の再発の中で「私には何一つできないことはありゃしない」と自らを励まし、書き続け、短命を予期しながら22歳で早世するまでのわずか4年半で単行本4冊、作品60編を遺した方です。素木さんは「自分は自分の一生を自分で取り決めたのであって、それが運命なのじゃない」という言葉を遺しました。
みなさん、自分を信じ、「自分はどう生きたいか」と自らに問い続けながら、主体的に進む方向を見極め、足を踏み出してください。そして宮城教育大学は、様々なことを学生に一方的に伝える大学ではありません。教職員と学生が共に考え、共に学び、共に悩み、共に進み、共に創造する大学です。ひとりひとりの可能性は、実に、無限大であります。
令和2年4月1日
国立大学法人 宮城教育大学長 村松 隆