学長メッセージ

令和5年度 学位記授与式 餞の言葉

 

 本日お元気に学位記授与式を迎えられましたことに、心から祝意を表します。
 在学中は、新型ウイルスの影響により本来の修学環境とは異なり、またサークル活動の制限や留学の断念など様々な支障を生じたことは残念でしたが、昨年ようやく規制が緩和され、大学祭も復活するなど徐々に日常が戻ったことは、学内に安ど感をもたらしました。その経過の中で迎えた今日の日には、それぞれの思いがあることと思います。

 一方、国外に目を転じれば、長引くウクライナ危機に加えてパレスチナ(ハマス)とイスラエルの争いが起こり、生命の危機が叫ばれない日は1日もありません。戦争で最もダメージを受けるのは、子どもであると言われています。ガザ地区で命を落とされた方の実に4割を子どもたちが占めており、また何とか生き延びても、終生消えることのない深刻な心身の傷に苦しめられます。信じがたい実態が、まさに現実であり、私たちには、自分の身のまわりだけではなく、世界に広く関心を持ち問題意識を持続することが求められます。映画「ガザ 素顔の日常」の中に、こうあります。「よその国の人から見た私たちは ”戦争ばかりの地域で暮らす人間“ です。とても苦痛です。・・・・・・物事の表面だけでなく、本質を見てほしい。私たちはただ生きたいのです。その声を聴いてほしい。生きたいんです」

 さて、本学で正式には卒業式と言わず学位記授与式とするのは、本学第4代学長・林竹二先生のご教示によるものです。先生は「本学では卒業という語は使わない。教師は生涯学び続けなければならない」「新しく大学を出たばかりの教師が、自分は教師だから教える資格があるのだというような、思い上がった気持ちを持たないようにだけはしておかなければならない」とおっしゃいました。常に研鑽を積み、より深い自己省察を重ね、生涯努力を重ね、学び続けることを忘れてはならないという意味で、卒業ではないということであります。また、「多くの教師が、子どもたちひとりひとりに目を向けること無しに、自分の授業の腕前だけを上げようとしている。授業の技術を問題にするよりも前に、教師は『子どもたちの魂の世話』に取り組むべきだ」ともおっしゃっています。
厳しい示唆ではありますが、教育の奥深さと限りない重みに思いをいたすとき納得できるものであり、またそれゆえ高みに向かって歩み続ける、とてもやりがいのある仕事と言えるのではないでしょうか。

 みなさんはこれから社会という新たなステージに入り、いろいろなことがあると思います。思うようにいかないこと、挫折することもあります。私自身も何度も経験してきました。
 全国高校野球で優勝、準優勝の輝かしい成果を挙げた仙台育英学園高校野球部の須江監督は、ご講演でこうお話しされました。「人生は敗者復活戦です。挫折のない人生なんて存在しないし、おもしろくない。何度失敗しても、できない自分を許して、学び続けることが大切です」
 事象は絶えず動いており、時局が好転するときが必ず来ますから、挫折しても決して悲観することなく、時節の到来を待ってください。そして、体勢を立て直して前に踏み出してください。

 最後に、アメリカの本に掲載されていた、ある方の記録をご紹介いたします。
「もし君が、時に落胆することがあったら、この男のことを考えてごらんなさい。・・・・・・・
【小学校を中退した。田舎で雑貨屋を営んで破産した。借金を返すのに十五年間かかった。・・・・不幸な結婚であった。・・・上院に立候補したが、二回落選した。歴史に残る演説をぶったが、聴衆は無関心。新聞には毎日たたかれ、国の半分から嫌われた。こんな有様にもかかわらず、想像してほしい。世界中いたるところのどんなに多くの人々が、この不器用で不細工なむっつり屋に啓発されたことか。・・・この男は自分の名前をいとも簡単に署名した。“エイブラハム・リンカーン” 】・・・・・・・」

 みなさんがそれぞれの道において「自分」を生き、自らが主人公たる人生を笑顔で送ることができるよう、心より祈っています。

                               令和6年3月26日
                             国立大学法人宮城教育大学長 村松 隆